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almost_blue’s diary

私について

シャワーとカラン

シャワーに対してカランがある。シャワーは蛇の様な黒いホース、シャワーヘッドを通し湯が無数の穴ぶちから出るという。これは想像に容易い、皆さんご存知だろう。では、カランは?

 

カランとは何だ?

松本人志は「システムキッチン」というコントの中で不動産屋として、内見にきた男浜田に対し「丁寧語やね、シャワーの」と言ったという。(倒置法やね)

 

カランの概要をざっくり説明するとシャワーのホースの元は湯水を司る母体があり、その母体のもう一つの排出、それがカランである。つまり用途によって使い分ける為の物である。では、どういった用途か。格好としては首振りしかできない鉄の堅物といった感じ。また、シャワーと違い繊細華麗に細い湯が無数の穴から飛び出すのとは違い、ゴリゴリのガチムチ太い大きな穴から太い湯が円柱状になってドバドバと流れ出る。(ちょっとエロいってば)

松本扮する不動産屋が丁寧語といったのは、何だか分かるようで分からない。どちらが湯の出方として丁寧かといえば、それは美意識に関する個々人の問題になってくるが、僕は圧倒的にシャワーの方が丁寧だと思う。

概要はざっくりと説明したが、そんな事は皆んな風呂で毎日、目にしているだろうからさっさと本題にいこう。

 

 

えーっと、、、カラン?

コロン、、カランカランコロン、

 

え、鬼太郎の下駄の音ですか?

 

いや、だからカラン!カランのみ!!

コロンは似てるけどややこしいから出してくんな。

 

はい。

 

いや、だから名称よ!なんなの、カランって名前!すごい昭和ハイカラって感じがすごいするよ。(すごいカウント2)

さてここからは憶測は憶測の域をでないけれど、僕は憶測の中から真実をまるっと言い当ててしまうぞ。

察するにカランって多分英語が元なんすよ。そんで日本人が勝手に日本人に読みやすい様に日本語英語、横文字に変えたと思うんすよ。とするとカランは…………karan……carun……catrun

cat runやね、これ。

猫が走るという意味の排出ですわ、要は。

ここから、こじつけです。

猫は威勢がいいよね。あの歩き方を見たまえ。野性、放牧という感じがすごくするよね。そして、猫が走る時ってどんな時か考えてみてほしい。獲物を追いかける時、逃げる時だ。そしてそんな時の猫の走り姿をシルエットで想像してほしい。ぴょーんと大地を蹴り上げ宙に舞う。足達はどんどん身体に平行になり、、、、見たまえ、まるで寸胴だ!!!

ああ、まるでカランから勢いよく出てくる湯水のようだね。

 

って話っすわ。

はい。お粗末でした。

 

20170424

少しだけ

今より少しだけマシな生活

心の平安と魂の要求のままに

 

訳もない諦観

人生の午後

流行り病のふり

時代の空気にまんまと呑まれて

都市で暮らすのが億劫だ

息苦しい

 

僕だけが知り得る事

僕だけが感じる悲しみ

誰もそれを奪えやしない

 

訳もない楽観

過ちの瞬間

繰り返す悪循環

また馬鹿みたいに諦観

 

時代の空気がそうだから

私もきっとそれでいい

ならば今を生きてる意味がない

誰かや何かに

君は常に抵抗するんだ

時間は短い

 

 

 

 

 

 

それでも聴いてるバンドの彼ら

僕の最近の音楽志向についてはこの間話したと思う。ブルースとか民謡をよく聴いてる。理由については前の記事を読んでください。でも、そんな中でも変わらずに聞き続けてるバンドの人達がいて、その人達を理由と共に少し紹介しようかと思う。

 

まずは

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CREEDENCECLEARWATER REVIVALさんのGREENRIVERです。

最近の3曲はそんなに何だけど「すべての人に愛を」とか「ロディ」、「クロス・タイ・ウォーカー」は素晴らしいね。これらを聴いてると浮かんでくる情景がある。どこか異国の田舎町で父親が娘の成長を収めるために手ブレしまくりのハンディカメラで娘を捉えてる。でも、その娘はもう、ずいぶん昔に死んでしまってる。そんな感じなの。とにかくブルースを感じるよ。ともすれば泣きそうになるね。

 

次は

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thebeachboysさんのFRIENDS

僕は圧倒的にThe Beatlesよりbeachboysだね、ペットサウンズ以降だけど好きなのは。beachboysを知ったのは村上春樹が何かの著書の中でgod only knowsを紹介していて、それから。とにかく彼らの作る音楽は美しくてどこか悲しい。なんか一時の英米文学って感じがする。トルーマン・カポーティとかサリンジャーとかね。

 

あと2つ紹介したいのがあるんだけど、それは次の記事で。

AtoZ(G〜H)

G・・・ギター

僕はギターを2本所有している。アコースティックギタークラシックギター。アコギの方はヤマハのFG-200で高円寺で買った。クラシックギターの方はおばぁちゃんの家の押入れに入っていたものでメーカーとかは不詳。糸まきが錆びてペグが回りにくかったから、つい最近リペアした。鳴りがいいので使ってる。最近の音楽的志向は環境音楽や、より内省的なものに惹かれる様になった様にアコギよりもクラシックを好んで弾くようになった。バンドサウンドが全く聴けなくなったわけではなくて、ルーリードやビーチボーイズjoy division、パティスミスは聴けるんだ。結局、音楽を通してその製作者の精神性や死生観みたいなものに共感できるかなんだよね。音楽も人なんだなってほんとに思う。だから、人が見えない様に巧妙に飾り付けをするバンドは理解できない。

 

H・・・歯並び

僕は歯並びが悪い。小さい頃、指しゃぶりをよくしていたせいらしい。でも一度も歯並びが悪いせいでいじめられたり、嫌われたりする事はなかった。小学生の頃、何人か歯の矯正のブリッジを付けている子がいたけれど、歯の矯正はとてもお金がかかると知ってまぁいっかってなった。見ていてとても窮屈そうだったし、誰も僕の歯並びが悪い事で文句を言ってこなかったし問題はなかった。もし、こてんぱんにその事でいじめられたら僕も少しはナーバスになって親に矯正の相談を持ちかけていたかもしれない。でも、結局のところ歯並びが悪い事できちんと歯磨きをする様になったせいか、僕は24年間一度も虫歯になった事がない。どうしようもないハンデはもう、利用していい作用を生む循環まで持っていくしかない気がする。偉そうな事言ってるけど、ただ歯を欠かさず磨いていただけ。

 

 

最近の音楽志向

ある時期からバンドサウンドを聴かなくなった。というより聴けなくなった。19時台のテレビ番組を見ている様な煩わしさしか感じなくなった。自分がより一人になりたいとか孤独に浸りたいと思う様になり、実際に一人になっていく過程でそういう事が起きた様に思う。

じゃあ、それからはどんな音楽を聴いているのかと言うと専ら弾き語りであるとかロックとは相容れない土着的な音楽を奏でるバンドとかだ。誤解を招かない様に言っておくと、私が最初に言ったバンドサウンドとは現世の生き辛さを歌ったり茶化したり、とれたての野菜の様なロックンロールをしている人達が奏でるサウンドの事。そういうものから距離を置きたくなったというか、飽きてしまったというのかな。

それの対にあるのが土着的、純粋な環境音楽の様なもの。私が惹かれているのは、今現在どうやらそちらみたい。現世の生き辛さを歌った弾き語りの方もいるじゃないかと言われるかもしれないが、それはそれでいい。目の前で鳴る一音とか、手に触れられる距離に向かって歌ってる、そういう気持ちが垣間見える弾き語りの人が好き。或いは孤独を讃えていたり、死を見つめている人が好き。弾き語りでもどうしようもないやつも沢山いるけれど、生楽器を選ぶ人は何となく信じられる。それだけ。

それと最近はブルースとアイルランド民謡をよく聴いてる。エリザベス・コットンとバニーボーイ・エドワーズを特に。

 

 

私の性的嗜好

昨日仕事中ぼんやり考えていたこと。それは私の性的嗜好について。あまり人様に言うのも憚れる様な、誰の共感も得られなさそうな事なんですが、私は何に一番性的な興奮をするかと言えば自分の恋人だとか妻を知らない男に無理矢理に(或いは合意の下)犯されている光景をどこかから眺めている、そういう状況にとても興奮します。悲しみや怒りややるせなさみたいなものは、その事後で少しは感じるのかもしれないのですが、別にそんな事は問題ではありません。彼女の見てはいけない領域を知ってしまった事の方に私は光悦します。仮定の話ですが、ここでは基本的に私の恋人なり妻はかなり貞操のしっかりしたきちんとした大人である事を言っておきます。しかし、彼女はその時、何かの加減ですっかり理性がきかなくなり、肉体の快楽を貪る動物になってしまうんです。私はきっと、その秘密を彼女に打ち明けて問い詰めたりしないでしょう。むしろ、関係に何れ破綻を期すかもしれない少しの間は、それ以前と以後で二人きりの時に彼女は私に対してどんな態度をとるのかとても興味があります。私はどうやら人間の汚い部分、理性がきかなくなって欲望をむき出しにしている所に本当の人間らしさを見るようです。

いつから、こんな歪んだ性的嗜好を持つ様になったのかは皆目見当がつかないのですが、一つ言えるのは私が恐ろしく小心者でノミの心臓の持ち主だと言うことです。小動物が草の茂みからこっそり狩りの渦中を眺めて然るべきタイミングを見計らって息を潜めているのと同じです。彼らは野生で生きると死ぬ、種を残す為の生存戦略しか頭にありません。しかし、我々人間には理性がある。そこが面白いところです。結局、持って生まれた肉体は種を残す為の装置です。男の場合は種を与える装置です。だから、愛だの貞操だの頭や心で理解したり実感していても野生の魔がさしてしまう時がある。それについてあれこれ悩んだり苦しんだりしてしまう、人間だから、理性があるから。でも私はどうやら野生の動物的な価値観に近いものを持っているらしく、また言い換えるなら貞操観念が著しく欠如しているため対して悲しみも怒りも湧いてこない。浮気されても構わないし、他に好きな人が複数人いても構わないと思う。

ただ、人間の性的嗜好の中で一番興奮できるのは理性が麻痺している野生の姿の愛するべき女を眺める事に他ならない。それが私の一番言いたい事。きっと理解されないと思う。

朝早くに目を覚ました。あともう少しで吐き気になりそうな腹の気持ち悪さを抱えている。ごめん、すぐ戻るからって君の元を離れて別の子の問題を治してあげてさっきの君の元に戻ったら、全く思い出せなくなってる。その事に腹が立つ。自分に腹が立つ。どうして、そんな風になってしまうのか何となくわかる。僕は自分を見失ってしまって、それをどこか道端で落として誰かがそっくり持って行ってしまったんだ。私の核みたいなものを。きっといつまで経ってもこのままなのは分かってはいるけれど、ちょっとどうしようもない。手詰まりでも答えが無くても生きていくくらいは出来てしまう。手付かずの瓦礫の山はいつまで経っても瓦礫の山だし、ゴミで溢れるゴミ箱に人は尚もゴミを押し込む。変わりはいないし、汚れていってしまうことを容認さえすればずっと今より生き易い地獄になるだろう。離人症に憧れる。皆んな木偶に見えたらいっそどれほど楽だろう。干渉の一切がない世界、私も木偶。皆んな同じ無味乾燥の世界。空と風と太陽と月と都会の悲しい生き物達だけが意思を持って生きている。「泣きたい」とずっと思っているけど泣けはしない。声を出して上ずって泣きたい。枯れるまで泣きたい。誰のことを考えず自分の為だけを思って泣いてみたい。